「鬼滅の刃」で圧倒的人気を誇る胡蝶しのぶ。鬼に両親と姉を殺され、仇討に生涯を賭けます。「白石女敵討」の主人公も、宮城野、信夫(みやぎの、しのぶ)という百姓姉妹が主人公で、父の仇を討つ話です。
寛永13年(1636)百姓与太郎は二人の娘と共に、八枚田で田の草取りの最中、通りがかりの白石城下剣道指南浪人志賀団七(史料により異なり、田辺志摩とも)の袴に泥がかかったので、これを怒った浪人が、与太郎と娘の謝罪も聞き入れず、与太郎を斬り捨てました。二人の娘は、家に逃げ帰りますが、この悲しみで、母はショックで亡くなります。姉妹は、悲しみに暮れたが、心に期すところがあり、上京し武者修行として知られたあの油井正雪の門を叩き、事の次第を詳しく語り、その道場で武道の修練を積み、寛永17年2月白石城下西郊六本松河原において、姉は鎖鎌、妹は薙刀をもって志賀とわたりあい、見事に仇を討って本懐を遂げたといわれています。片倉家侍150人、見物1000人が集まったと言われ、その後姉妹は、出家して、一生、仏に仕えたという話です。
この姉妹による仇討ち話は、「奥州白石噺」「碁太平記白石噺」などとして義太夫、歌舞伎などの舞台で演じられ広く知られるようになりました。
この話が史実かどうかは別として、白石市内には孝子堂、八枚田、奥州白石噺の碑などが残されています。 (以上白石商工会議所の資料などによる)
牧田勲氏は、「『奥州白石女敵討』とその社会的受容」という論文の中で、 確かに近世中期まで、敵討は武士階級に特有の慣習であったといえるが、中期以降になると庶民の敵討が目立って増えてくる。と同時に庶民が仇討情報や仇討話を娯楽として愛好する傾向がいちだんと顕著になるとして、それには、「孝の実現」と「憂さ晴らしとしての娯楽性」の二面性が考えられる、というようなことを述べています。
ちなみに 日本の三大敵討は、1.曽我兄弟の仇討(1193年) 2.鍵屋の辻の決闘(伊賀越えの仇討とも)(1634年) 3赤穂浪士(1702年)ですが、私が好きだった、テレビの人気番組の必殺シリーズも敵討の話。いつの時代にも人気があるのは、人間の心の奥底に訴えるものがあるのでしょう。
さて、「白石女敵討」と題する本は1838年(天保9)と1854年(安政元)に刊行されており、写真の本は「新日本古典籍データベース」と照合してみますと、1丁の「改」と「寅十」の表記から安政元年10月発行の実録物の刊本。縦18.5センチ 横11.5センチで、20丁までの端本です。裏表紙は、麻の葉の柄。
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