「田中正造とその周辺」 この1冊の本から

今年の7月、明治時代に起きた足尾銅山鉱毒事件に取り組んだ、田中正造に関する1冊の本を買った。それは、赤上剛著の「田中正造とその周辺」(随想舎刊)という新刊書で、田中正造の人間像について、新たに迫った本だ。この本の購入直後に、足尾銅山の記録映画「鉱毒悲歌」が40年がかりで完成、7月26日に宇都宮で上映会があるとの案内を新聞で知った。これを逃したらもう見る機会はないだろうと思い、妻と二人で湘南新宿ラインの電車に揺られて宇都宮へ。上映会場は、宇都宮駅からさらにバスで30分ぐらいと聞き、宇都宮ギョーザで腹ごしらえをしてバスに乗った。バスの中で、先日買った本の著者赤上さんと思しき人を発見。私は行く前からこの映画会には、きっと赤上さんも見えるだろと思って著書を持参。バス停で降りた5人は5人とも、上映会の参加者だった。上映の前に、赤上さんを捕まえ、著書にサインをお願いした。すると名刺を頂いて、「お仕事は何をやっていますか?」と問われ、「古本屋です」というと、「私の仕事は、古本屋さんナシでは仕事ができません。金曜・土曜は可能な限り古書会館へ通っています」との話。
 そんなやり取りをした後、上映会が始まった。制作委員長の挨拶で「10人も見に来てくれれば、いいなと思っていました。」と言っていましたが、狭い会場に200人は超えていたのでしょうか。床の上のじかに座って見ている人も多く、冷房は全く効かず、あまりの暑さに音をあげての、汗だくの鑑賞でした。
このドキュメンター映画に登場した立松和平さんをはじめ、谷中村の人など、多くの人はもう亡なってしまったようです。鉱毒問題が治水問題にすりかえられ、谷中村の人たちは強制立ち退きを迫られ、那須や北海道の佐呂間で開拓にあたりました。佐呂間原野は想像を絶する悲惨な状態で、一番弱い幼児たちから亡くなっていきます。
 こういった経緯は、100年たった今般の福島の原発事故でも全く同じ構図です。農民が故郷を奪われたと同じように、福島の人たちも故郷を追われました。
被害対策後回しで、銅の増産に力を入れたように、原発の事故処理や被害民の救済よりも、原発の再稼働や輸出に力を入れているのが今に日本の実情です。
 映画終了後、テレビ局のインタービューを受けていると、赤上さんがやってきて、「市川さん、足が無いんでしょ。田中正造記念館の事務局長が車で宇都宮駅まで送ってくれるそうで、一緒に乗せもらいませんか?」と誘ってくれた。
車には、毎日新聞の記者もおり、映画の感想を聞かれた。すると8月の新聞にこの「鉱毒悲歌」の映画の紹介と、私のコメントも載せて頂いた。
 この記事から、私もこの映画の上映運動をしてみようと思い、練馬の図書館に話して、2月に上映しましょうとのお話を頂いた。
 まだ他の会場でも上映が出来ればと考えているのですが、この一冊の本を購入し、サインを頂いたことから、新聞に私のコメントが紹介され、さらに映画の上映会まで実行することになり、自分でも、驚いているのです。

 

 

 

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2014.11.25